山崎浩『ゲーム開発物語』解説02 横井軍平の最大のライバル

『ゲーム開発物語』の前身である『横井軍平物語』。
実際横井さんのもたらしたさまざまな恩恵によって、日本のテレビゲーム文化は進化したんだってことはよくわかる。
十字キーひとつでもそうだけど、一部アナログコントローラが併用されたことを除けば、Wiiリモコン出現までのテレビゲームの入力デバイスの標準を作ったってことで、文法を作った人物といっていい。
ワンダースワンも才気を感じるおもしろい機械だったし、構想もユニークだった。
強すぎるライバルによって消えていったけど、横井さんが最後まで面倒を見ていればあそこまで惨敗にならなかったんじゃないだろうかと夢想する。
ゲーム黎明期にゲーム文化そのものを作ってきた人、遊びについて本当にいろいろなアイデアを遺した人だからこそ、唯一無二の存在といってもいいだろう。多岐なジャンルで活躍したから、そのままライバルというべき存在はいないかもしれない。
といっても、パズルゲームのジャンルに絞れば、ルービック教授がそうだし、なんといっても「枯れた技術の水平思想」という横井軍平イズムの対極にある巨艦大砲主義をゲーム業界に持ち込んだ偉大な建築家のことを忘れるわけにはいかない。
久夛良木健、その人である。スーパーファミコン時代の任天堂一極支配の停滞したムードを打破したり、ゲームサウンドの向上に貢献したり、ゲームの流通スタイルを変えたりと、いくつかの項目で確実にゲームカルチャーに大きな功績を残したといえるだろう。
表舞台に出てきたのが1999年のSCE社長就任、以降8年にわたってゲーム業界のスターであり続けたということの意味は好き嫌いもそうだし、負の側面で打ち消せるほど小さな功績じゃないと思う。
別に3Dポリゴンのゲーム自体は任天堂がやってたし、セガの『バーチャファイター』もゲームの3DCG化の原動力といえるだろう。
久夛良木がハイエンドのCGを自動生成可能なプラットフォームを投入し、一時は任天堂ですらその土俵上で戦い敗れかけたことはこの10年のゲーム潮流を考える上で大きな一歩だといえる。
ただ彼の出すビジョンがあまりにすばらしかったので、後先考えず体力勝負のグラフィック競争に挑んでしまったゲームメーカーがいかに多かったことか。一時期“美麗なグラフィック”の作品が毎週のようにリリースされてたじゃないですか。
『FF』や『メタルギア』だけでなく、ほとんどの家庭用ソフトがグラフィック戦争に突入したのが混迷の始まりだった気がする。
逆に横井の手によるものではないが、横井の弟子たちが作り上げたWiiの躍進は横井の思想の究極形に位置するものといってもいいだろう。ひとまずは横井イズムの勝利というわけだが、この戦いはまだまだ続く気がしてならない。

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