山崎浩さんに初めて会った日

山崎浩

何を書こうか迷いながら、思い出話をひとつ。

昔勤めていた会社で、印刷会社のかたが社長に相談に訪れたのですが、前夜飲みすぎた社長が午前中不在でした。結局、ぼくが話をお聞きしたのが、『スーの世界』を担当することになるきっかけでした。
当時インターネットにはあまりくわしくなかったのですが、早速付け焼刃ですがお勉強。巨匠のSFマンガを連載していた某出版社や、人気作家のバスケマンガをやっていたスポーツ関連テレビ局、マンガ賞の入選作品を公開していた某社といろいろチェックしていて、よそがやっていないタイプのマンガを集めてみたいと思いました。
ここで公私混同! ぼく自身が山崎浩さんのファンで、と一度一緒に仕事をしたいと思っていたので、面識のあったマンガ雑誌の編集者を通じて紹介してもらえることになりました。偶然が重なり、連載が始まったわけです。

溝の口の駅前の喫茶店(再開発でなくなったと思うけど…)で会った山崎さんに“とにかくやりたいものでいいから、インターネット向きのものを!“なんてあいまいな(今となっては迷惑だったかもしれない)オーダーで『スーの世界』が生まれたわけです。

山崎さんとの打ち合わせは雑談気味だったのですが、ずっと描きたいと思っているという戦時中の疎開船の構想の話とか、『蝿の王』みたいな子供同士の葛藤の話はどうかとこちらが提案したと覚えています。

あの絵で山崎浩ブランドとおもいっきりちがったものをどうかなんて乱暴な提案もいいましたが、そういったものを描きたいという表現上の欲求はあっても、ファンを大切にしたいので“山崎浩”としてはそういうものを描く気はないようでした。
だからなんですね…この件はネットであれこれ取りざたされていることへの答えにもなるかな。

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